見習い魔法使いのいつもと違う一日 3/3

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ルークはベッドに寝かせられていた。

顔は痣だらけで、擦り傷もいっぱい。

ゴホッと吐いた咳には血が混じっているようだ。

「そんな……」

リリーは呆然とそれを見下ろした。

「村の人の話だと、外の人間の仕業だろうって」

外から部屋に戻ってきた師匠が言う。

「多分、町の人だろうね」

「町の人……」

心当たりはあった。

というかきっとあれが原因だ。

「心当たりでもあるのかい?」

師匠がいつも通りの眠そうな目でリリーの方に視線をよこす。

リリーは少し迷った後、今日のことを説明した。

「……実は」

事情を聞いた師匠はしばらく黙りこんだ。

何か考えているようにも見えたが、多分いつも通りたいして深くは考えていない。

「なるほどね」

短い沈黙を破って、師匠はそれだけを呟いた。

「師匠どうしましょう、きっとわたしのせいです……」

「違うな。この子が月王草を横取りしなければこんなことにはならなかった」

「でも、月王草を欲しがってたのはわたしです」

「それでもこの子の自業自得だ」

俯くリリーの頭を師匠がぽんぽんと撫でた。

「でもまあ結局のところそんなことはどうでもいい。とにかく手を尽くすよ」

「……お願いします」

治療の簡単な手伝いを終えると、リリーにできることはほとんどない。

師匠の言葉に従って外で待つ。

夜も更けて、なお月が綺麗に見える。

家の裏で膝を抱えて座り込むと、地面はひんやりと冷たかった。

「……」

ぎゅっと手を握る。後悔が胸に押し寄せてくる。

あの時ルークを止めていれば。そもそもルークをついてこさせなければ。

嫌な感じが胸に広がっていた。タビのときと同じ、とてもよくない感触だ。

「ルーク……死んじゃうのかな」

月が青白い光を地に投げかける。

家々が夜の闇に静まる。

ルークの両親は魔法使いの自分たちを避けて別の所にいる。

自分たちは嫌われている。

今日のことを知っていたとしたら、やっぱりリリーを責めるだろう。

考えて考えて、結局は当たり前の答えにたどり着いた。

自分がなんとかしなければならない。

そうなのだ。自分のせいで起きた間違いは、自分で正さなくてはならない。

だから。ルークを助けるのは自分なんだ。

リリーは静かに立ち上がって駆け出した。

屋敷につくと書庫に向かった。

扉を開けて端から探っていく。

どこかにある。あれは、あるはずなのだ。

「どこ」

本の一冊が床に落ちた。

続いてもう一冊、落ちて重い音を立てた。

「どこに……?」

隅々まで探しても見当たらない。

大量の本が落ち、床を埋め尽くすほどになっても見つからない。

「どこにあるの……!?」

まだまだ本棚は山のようにある。

それを見つけるのは絶望的に思えた。

が。ふと本棚の隅にあった一冊に目が吸い寄せられる。

黒くて、分厚い本。

ルークの部屋に戻ると、火の入った暖炉の前の椅子に、師匠が座っていた。

治療はひと段落したらしい。本を抱えたまま息を切らしているリリーを見て、「やあ」と手を上げた。

「お帰り」

リリーは黙って玄関口に立っていた。

師匠は暖炉の火の方に視線を戻すと静かに言う。

「こっちに来て座りなさい」

リリーはしばらく俯いていたが、師匠の言葉に従って、暖炉の前の椅子に座った。

師匠はそのまま黙っていたが、やがて口を開いた。

「死者の蘇生について記した本だね」

「……はい」

「それをどうするつもりなのかな」

リリーはすぐには答えられなかったけれど、言葉を選んでゆっくりとかみしめるように言った。

「ルークが、死んじゃったら、生き返らせるんです」

師匠はそれを聞いても動じる様子はなかった。

「確かにこの子はだいぶ危ない状態だね」

「……わたしのせいです」

「さっきも言った通りこの子の自業自得だ」

「それでも! ……巻き込んでしまったのはわたしですから」

リリーは本を抱える手に力を込めた。

師匠はまたしばらく沈黙した。何かを考えるような間だった。

「ぼくもやったことあるよ。死者の蘇生」

「え?」

急に言われたのですぐには理解できなかった。

ゆっくりとその意味が頭にしみとおっていくのを、もう一人の自分が遠くから見ているような気がした。

「姉を生き返らせようとしたんだ」

師匠はいつも通りの声で言う。だから少し調子が狂う。

「ぼくは母を早くに亡くしていてね、姉がぼくを養ってくれたんだ。でも病気で死んじゃった」

あっさりと告げた。

それからやっぱり気の入っていない声で続ける

「大好きだった。死ぬ前に伝えられなかったそれを、伝えたかったんだ」

それを最後に師匠は言葉を切った。それからなにも言わないのでずいぶん沈黙が長引いた。

「伝えられたんですか?」

「ああ、なんとか」

どこか遠くを見るような目で師匠は言う。

「生き返ったのはほんの少しの時間だった。完全に生き返らせることはできなかった」

「そんな」

「おまけにね。持っていかれたよ」

死者の蘇生にかかる代償。リリーはそれを思い出す。

「感情と姉と過ごした記憶をだ」

「感情と、記憶?」

「蘇生には一度失敗した。その時に感情を。次は一応成功したけど、記憶を」

眠そうな、もっと言えば感情のない声で師匠は続ける。

「伝えたいことは伝えた。でも無意味になってしまった」

「え?」

「姉との記憶はかけがえのないものだったんだ。それにね。姉は言ってたよ」

「……なんて?」

「知ってた、って」

ぼくが姉さんのことを愛していたことを、彼女は知っていた。

師匠はそう言った。

リリーは、しばらく何も言えずに師匠の横顔を眺めていた。

それからふと思いついて口にする。

「失敗して、感情をなくしても。それでも生き返らせたい人だったんですね……」

感情をなくしてどんなことにも意味を見いだせなくなって。それでも師匠は姉に会いたかったのだろう。

師匠は言う。

「もしかしたら君もあの子に伝えたいことがあるのかもしれないね」

リリーはそれには答えなかった。

「でも、きっと大丈夫さ。彼もきっと知ってる。ぼくの姉みたいにね」

それから師匠はリリーの方を向いて手を差し出した。

「むやみやたらと元気になる薬、持ってるだろ?」

「はい」

「貸して。使うから」

「……はい」

師匠はリリーから小瓶を受け取るとルークの寝るベッドに近付いた。

リリーはそれを見ながら考えていた。

ルークが起きたら、まずなにを言おうかな。

いろいろ考えたけれど。

これというものが決まらず、いつの間にか椅子で寝込んでしまっていた。

鳥のさえずりが聞こえた。

窓からは朝日が差し込んでいる。

寝起きのリリーは、椅子にもたれたままぼんやりとそれを眺めていた。

が。はっとして立ち上がる。

隣の椅子では師匠がだらしなく崩れた姿勢で眠りこんでいた。

そして、ベッドでは。

「……ルーク?」

囁きかける。

「ん……」

かすかにうめいて、少年が目をうっすらと開く。

「ルーク……!」

少年はぼんやりとリリーの顔を見つめ、それから呟いた。

「ミルク、飲みたい……」

……

「それでよ」

あれから数日。怪我がだいぶ良くなって外に出られるようになったルークがリリーに問いかける。

「猫はどうなったんだ?」

二人は村外れの小高い丘にいた。

風がリリーたちの髪を優しくなびかせている。

「タビはね、どっか行っちゃった」

「どっか行った?」

「うん。あの後屋敷に戻ったらいなくなっちゃってた」

「探さなかったのか?」

「探したよ。でもいなくてさ」

リリーは腰を下ろした場所のすぐわきにあった花を指で揺らしながら続ける。

「多分、見られたくなかったんだと思うな。死んじゃうところ」

「……そうか」

ルークは言って、空を見上げた。

まだ身体のあちこちに包帯が残っているし、本当は出歩くのは禁止されているのだけれど、無理して出てきた様子だ。

「お別れのあいさつぐらいしたかったかな」

リリーは呟く。

「いきなりいなくなっちゃうんだもん。伝えたいこともあったのに」

「なんだそれ?」

ルークの問いに、リリーは笑って答える。

「大好きだったよ、って」

でも、タビはそんなこと知ってたかな。

もう過ぎたことと割り切れたと思ったけれど。

不意に涙がこぼれそうな気分になって、リリーは慌てて目をこすった。

ルークは気づかないふりをしてくれたようだった。

「あーあ。友だちがいなくなっちゃった」

リリーの言葉に、ルークが意味ありげにこちらを見た。

「そのことなんだけどよ。お前に見せたいものがあってさ」

「なに?」

不思議に思って訊ねる。

ルークは横にあった小さな小箱をリリーの方に押しやった。

一抱えより少し小さいくらいで、さっきからなんだろうと思ってはいたのだ。

「なにこれ?」

改めて訊ねると、ルークは手振りで開けるように示す。

蓋に手をかけると、中でかすかに何かが動く気配がした。

「にゃー」

箱を開けると同時に鳴き声がした。

中にいたのは。

「子猫?」

黒いふさふさの毛並みで、タビによく似ていた。

「家の裏にいてさ。お前の相手にいいかと思って」

ルークが頬を掻く。

「……ありがとう」

「あとさ、俺も、その」

友だち、だし。ごにょごにょとルークが続けた。

「えー、なになに?」

本当は聞こえていたけれど。もう一度聞きたくてリリーは意地悪した。

ルークはほんの少し顔を赤らめて、「やっぱ今のなし!」とそっぽを向いた。

晴れた太陽の光がそんな二人を優しく照らしている。

見習い魔法使いリリーの、いつもと違う一日。

おしまい

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