魔人「・・・覚えて、いません」
―――とっさに、嘘をついた。
魔人「・・・っ!違っ・・・」
―――何故、嘘をついたのか。分からない。
ただ、とっさに、昨日の私と彼との会話を、
知られたく、なかった。
彼女に教えることを、私の体のどこかの部分が、
拒否している。
メイド「・・・そっスか。残念っス・・・。ねーさんも、潰れちまったんスか?」
魔人「・・・はい、実は」
メイド「なーんだ、それじゃ仕方ないっスねー。他をあたるしか・・・」
魔人「・・・き、昨日は・・・!」
メイド「はい?」
魔人「・・・皆さん、潰れてしまっていたから、彼は、一人だったのでは・・・?」
魔人「一番お酒が強いのは、彼、なんですから・・・」
メイド「・・・なるほど。じゃー、意味ないっスねぇ・・・。はぁ。残念」
―――焦る心とは反対に、口からは、淡々と嘘が溢れる。
次々と吐き出す嘘の苦さを噛み締めながら、
私は体をくの字に折り曲げて、叫びそうになるのを堪える。
魔人「・・・っ」
メイド「・・・ねーさん?どーかしたっスか?」
魔人「・・・すいません、気分が・・・」
メイド「えぇ!?大丈夫っスか?すぐトイレに・・・」スッ
魔人「・・・!」
パシンッ
メイド「・・・え」
魔人「・・・あ」
メイド「・・・ねーさん・・・?」
魔人「・・・た、ただの二日酔いですから。大丈夫です」
メイド「でも、足も悪いのに・・・」
魔人「・・・本当に、大丈夫ですから」
魔人「・・・あなたは、寝ていてください。・・・では」
メイド「は、はぁ。じゃあ・・・。お大事に・・・」
魔人「―――げほっ」
―――便器に向かって、吐いた。
吐いても吐いても、お腹の中の氷は外へと出てくれず、
ますます、重さと冷たさを増していった。
魔人「・・・はぁ、っは、ぁ・・・」
―――手を振り払ったときの、彼女の表情が、
まぶたにこびりついて離れなかった。
まだあどけなさの残るその顔に、あんな怯えた表情を乗せたのは、
私だ。
魔人「はぁ、は・・・、・・・う、うぅ、う、く・・・」ボロボロ
―――何故だろう。
彼女は初めて会ったとき、あんなに幸せそうにチョコレートを齧っていたはずなのに。
何故だろう。
そんな彼女に、恥ずかしげも無く嘘をついて、あんな表情をさせてしまって。
魔人「・・・うぅ、うぅぅううぅぅぅうぅうぅぅぅぅ・・・っ!!」ボロボロ
―――何故だ。
何故あの優しい手を、振り払ってしまえたのだ。
魔人「・・・うぅっ・・・うぅうぅぅわぁぁぁぁぁぁぁっ・・・!!!!」ボロボロ
―――私が、『魔人』だからか。
魔人「・・・・・・・・・」ゴシゴシ
―――彼女と目を合わせるのが辛くて、城内を散歩することにした。
昨日は忙しなく人が行きかっていたのに、今日はもぬけの殻。
大方皆、昨日の酒盛りで疲れて眠っているのだろう。
魔人「・・・・・・・・・」
魔人「・・・そうだ、彼のシャツは・・・」
魔人「・・・っ。・・・後で、誰かに頼んで届けてもらいましょう・・・」
魔人「とにかく、今は・・・」
兵士「・・・あれ?魔人さん?」
魔人「―――」
兵士「どうしたんですか?・・・面白いでしょ、誰もいない城って」
兵士「早く目が覚めたから、散歩しているところなんですよ、俺。魔人さんも?」
魔人「・・・どう、して」
魔人「・・・どうして、このタイミングなんですか・・・」
兵士「え?」
魔人「・・・いえ」
魔人「私も、そのようなところです」
兵士「・・・?あれ、なんか顔、青くないですか?」
魔人「・・・っ、実は、二日酔いで、少し・・・」
兵士「へぇ、大変だなぁ。お酒強いって聞いてましたから、昨日の・・・」
魔人「・・・・・・・・・」
兵士「・・・いえ、失礼」
魔人「・・・なぜ、謝るのですか」
兵士「え?あ、いや、その・・・。流石に、無礼を重ねすぎたかと・・・」
魔人「・・・シャツ」
兵士「へ?」
魔人「シャツ、洗ってお返ししますね。では・・・」タタッ
兵士「あの、ちょっ、・・・魔人さんっ!」
魔人「・・・!」ビクッ
兵士「・・・あの、大声出してすいません。・・・ですが、その」
兵士「・・・また、酒に付き合ってもらっても、よろしいですか・・・?」
魔人「・・・・・・・・・」
兵士「昨日、あなたと飲んだ酒は、その・・・」
兵士「・・・旨かったので」
魔人「・・・ッ」
兵士「も、もしよろしければなんですけど、はは・・・」
兵士「・・・や、やっぱり困りますよね。その、あなたには楽しくなかったかも・・・」
魔人「・・・楽しかったに・・・」
兵士「え?」
魔人「・・・楽しかったに、決まってるじゃないですか・・・」ボソッ
―――氷は融けずに、お腹の中にいる。
重さと冷たさを持って、そこにいる。
兵士「今、なんて・・・」
魔人「・・・失礼します」タタッ
兵士「ま、魔人さん・・・?おーいっ・・・」
―――彼への感情は、理解できないものだった。
昨日の湯船の中から感じていた感情だ。
それは、彼の背中で彼の体温を感じていた時から、
さらに熱いものとなっている。
私はこんな感情を持ったことが無かった。
初めてなのだ。これがなんなのか、分からない。
分からないからこそ、怖い。
怖くて、彼から逃げる。
魔人「・・・はぁ、はぁ」ピタリ
魔人「・・・はぁ、はぁ、はぁ・・・」ズズ・・・
―――いっそ、この熱が、私のお腹の氷ごと、
嘘まみれの醜い私の体を、
すべて燃やし尽くしてしまえばいいのに、と思った。
その死に方はたぶん、とても安らかで、気持ちのいいものだから。
―――翌日。朝・食堂
魔人(・・・結局)
魔人(彼女とは、ギクシャクしたままだ)
魔人(・・・・・・・・・)
魔人(・・・一体、どうすればいいのだろう・・・)
魔人(・・・私は・・・)
メイド長「・・・あらあら、おはよう」
魔人「あ・・・、おはよう、ございます」
メイド長「あらあら?肌に張りが無いわね。ちゃんと寝てる?」
魔人「え、ええ。まぁ・・・」
メイド長「ならいいんだけど・・・。ねぇ、あの子、最近元気ないのだけれど・・・」
魔人「あの子・・・?」
メイド長「あなたと同室の子。なにか知らない?」
魔人「・・・知りま、せん」
メイド長「・・・あらあら、そう」
メイド長「・・・今日は、お洗濯をする日なの」
メイド長「お庭に、白いシーツを何枚も並べて干すのは、とても綺麗よ」
魔人「・・・はぁ」
メイド長「・・・それを見れば、あなたの心の汚れも、落ちるかも」
魔人「・・・っ」
メイド長「・・・なにを抱えてるかは、知らないし、聞かない」
メイド長「ただ、今までのあなたは、綺麗すぎたのよ」
メイド長「少しくらい汚れるのなんて、当たり前。むしろ大切なのは・・・」
メイド長「・・・その汚れの落とし方を、考えることよ」
魔人「・・・・・・・・・」
メイド長「そして、どれだけ綺麗に落とせたところで、新品同様にはならないわ」
メイド長「汚れを落としながら、大切に使い込んでいけば、『味』が出てくるものよ」
メイド長「私は、そう思うのだけれど」
魔人「・・・味、ですか」
メイド長「・・・だから、あなたが特別なわけではないの。皆そうやって、自分の『味』を探してる」
メイド長「あなたは、まだ汚れの落とし方を知らないだけ。自分だけの『味』を知らないだけ」
メイド長「・・・これから知っていけばいいのよ」
魔人「・・・本当に、そうでしょうか」
魔人「私も、汚れを落とすことが、できるのでしょうか」
メイド長「・・・あたりまえじゃないの」
メイド長「だから、探しましょう。汚れの落とし方を」
魔人「・・・・・・・・・」
メイド長「・・・お洗濯、がんばりましょうね?」
魔人「・・・はい」
―――本当に、『魔人』の私の心の汚れも、落とせるのだろうか。
信じられるわけではなかった。だが・・・
彼女の言葉を、信じたいと思った。
―――城・庭
先輩A「・・・おーい!引っ張っていいよー!」ブンブン
魔人「こ、こうですかー?」
先輩A「違う違うー!もっと、向こうまで走ってー!!」
魔人「は、はぁい。・・・っと」タッタッタ
―――紐に留めたシーツが、いっせいに風に揺れる。
照り付ける太陽が、まだ湿っぽいシーツをやいていく。
空は青で、芝生は緑で、シーツは真っ白だった。
魔人「・・・綺麗」
先輩A「・・・そーでしょ。この仕事が一番好きだなー、私は」
魔人「・・・心の、洗濯・・・」
先輩A「・・・んーっ、いーい天気だなー・・・と」
メイド「・・・えーっと、こっちが・・・」
先輩B「おーい、バーカ!絡まってるってのー!!」
先輩A「・・・あんたら遊ぶなよー!まだシーツはあるんだかんねー!」
魔人「いつも、こんなに大掛かりなんですか?」
先輩B「ん?ああ、なんせ量があるからなー。天気によってもできねーし、一気にやっちまわねーとな」
魔人「・・・そうですね」
メイド「・・・ねーさーん、コレ、持っててもらっていーっスか?」
魔人「・・・う、うん」
メイド「んじゃ、あっちに留めて来るっスから!・・・うぉぉ」ダダダダ・・・
先輩B「なんだかんだで、楽しい仕事だよなー。気持ち良いし」
魔人「本当に・・・、うわぁっと・・・」ギュッ
先輩B「ははっ、しっかり持ってねーと、転ばされっちまうぞー」
先輩B「こう、腰を入れてな?がっしりと、構えるのがコツだよ」
魔人「・・・コツ」
先輩A「・・・おーい!あんたもやりなさーい!」
先輩B「・・・さぼってるわけじゃねーよー!・・・じゃ、あたしあっち行くな」
魔人「・・・腰を入れて、持つ・・・」
先輩A「・・・あらかた干せたー?」
メイド「後これだけっスよー」
先輩B「よし!走ってこい!」
メイド「よーし、お任せあれ!・・・うぉぉ!」ダダダ・・・
魔人「・・・・・・・・・」
先輩A「あの子、なんか走るの好きよね・・・。これで最後ー?」
先輩C「・・・うん、おわったよー」
先輩A「・・・あんた、干す方の係じゃなかったっけ?」
先輩C「あははー、だって太陽嫌いなんだもーん」
先輩B「・・・そんなんだから、もやしっ子なんだよ。・・・と、お?よし、留めたな」
先輩C「・・・そーだ、新人ちゃんに聞こうと思ってたんだけどー」
魔人「私、ですか?」
先輩C「うんー、あなた、兵士さんと仲いーのー?」
魔人「・・・っ」
魔人「・・・なんの、ことですか?」
先輩C「あれー?やっぱり夢かなー」
先輩A「・・・なになに、何の話?」